『くすり』×『ガラス』の街 富山市の紹介
Ⅰ.なぜ富山市はくすりの街なのか?
江戸時代にはじまった『富山のくすり』
300年以上の歴史を持つ、越中富山の薬売り。今でこそ『くすりの富山』として有名ですが、
富山が薬で有名になったのは、ある事件がきっかけでした。それが『江戸城腹痛事件』。富山藩2代目藩主前田正甫が江戸城に参勤した折、腹痛になった大名に「反魂丹(はんごんたん)」を服用させたところ驚異的に回復したとされ、この事件がきっかけとなり「越中富山のくすり」の名が日本全国に広まりました。
現在も受け継がれる『富山のくすり』
現在も売薬さんは県内で多くの方が従事しており、全国各地を訪問しています。平成23年の人口当たりの医薬品生産額、製造所数及び従業者数は全国で1位であり、薬都・富山の歴史は続いています。
富山駅前の売薬さん銅像
(左)昔なつかしいパッケージのお薬 (右)各家庭に置いてあった配置薬の預け箱
くすり関連観光施設
池田屋安兵衛商店、薬種商の館金岡邸、富山市売薬資料館
Ⅱ.なぜ富山市はガラスの街なのか?
『富山のくすり』に由来!?
そもそもの発端は、300年以上の伝統を受け継ぐ「富山の売薬」に由来します。明治・大正期には、薬の周辺産業としてガラスの薬びんの製造が盛んに行われ、全国のトップシェアを誇り、戦前は、富山駅を中心に溶解炉をもつガラス工場が10社以上あったといわれています。
しかし、太平洋戦争末期の富山大空襲で、ガラス工場の大半が大きな被害を受けました。さらに、戦後はプラスチックの登場により、薬の容器ガラスからプラスチックへと代わっていきました。
『ガラス』の将来性や国際性に着手
戦後、徐々にガラスとのつながりが減少していったものの、かつては多くのガラス職人が活躍していた富山市。そこで、市は「ガラス」の将来性や国際性、市民との親和性に着目し、昭和60年に「市民大学ガラスコース」を開講しました。このコースの開講によって市民がガラスに親しむ機会が生まれ、これを機に「ガラスの街とやま」への取り組みがスタートしました。そして、約30年にわたり取り組んできたガラスの街づくりの集大成として、平成27年8月に「富山市ガラス美術館」が開館しました。
【出典:広報とやま 平成28年(2016年)9月5日号】
富山駅構内のフロアシャンデリア(手前)とトランジット・ライティング・ウォール(奥)
富山のガラス作家作品。富山市ガラス美術館や富山ガラス工房で販売しています。
世界にひとつだけ、自分だけのガラス作品。本格的なガラス制作体験は富山ならでは。
ガラス関連観光施設
富山市ガラス美術館、富山ガラス工房
富山のくすりとガラスを巡るモデルコース
【所要時間】約2時間~3時間
【移動手段】路面電車(徒歩も可能)
【料金目安】約1,000円
・路面電車3回(1回210円×3乗車)
・ガラス美術館 入館料 200円(常設展)
・富山城郷土博物館 入館料 210円(常設展)
・池田屋安兵衛商店 無料
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